元ネタは「はてな匿名ダイアリーもっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに」です.
これを読んでとってもとっても元増田さんに同意.
あーーーー、上手く言えませんがこの感覚ってすごく良く分かります.
算数や理科などの科目は道筋を辿って身につけるようになっているのですが、そうでない科目があります.
結果だけを示して「このようにしろ」とだけ教わる科目.
そんな中でも暗記科目のように具体的なゴールが示されているものは大丈夫.
しかし、元ネタにあるように、結果を具体的に導く方法が示されていないものは辛いものです.
_ いつもここで書いているように、私はアマチュアの吹奏楽団で楽器を吹いています.
楽器の技術指導についても、的確なメソードなんて確立されていません.
中学校の吹奏楽部では代々の先輩から語り継がれているメソードで教わることが多いと思います.
長年の技術の伝達の中ではプロによる指導が入ることもあるでしょうが、それを受け継ぐのは所詮中学生の事なので、大人が見るとまっとうでないメソードが引き継がれている事が多いと思います.
はかせの経験では、野球で言うところの「兎跳びででグラウンド10周」のような事も多々ありました.
はかせはそれがイヤで、出来る限り「このような結果を目指している、そのためにはこのような練習をしてしかるべき力を身につける」という道理が通る練習をめざしました.
_ 吹奏楽をやっていると「ちゃんとした先生に指導を受けなさい」とよく言われます.
しかし、ちゃんとした先生は、ちゃんとした技術を身には付けているが、その技術をちゃんとした指導法によって教えることが出来るとは限りません.
ちゃんとした先生の指導を受けても、元増田さんの経験したようになる可能性も多いと思います.
ただ、ちゃんとした技術を目の当たりする事が出来、自分の目指す先が分かると言う点では意義は大きいと思います.
_ 図工と同様に、音楽では演奏技術の他に、表現の指導もあります.
「この部分は空を見上げているつもりで演奏しましょう」
「この曲は夏の曲なので夏になったつもりで演奏しましょう」
などのような抽象的な指導が入る事はすんごい多い.
夏になったつもりで吹いたものとそうでないものとを録音して較べてみて違いがあるのか疑問に思います.
このような指導を入れられるたびに「大きい音で吹け」「はっきりとした音で吹け」「音の移り変わりをはっきりさせろ」等々具体的な指導を行う方がいいのではないか、と思うのです.
はかせは音楽なんて物理現象なんだと思っています.
「このノリは××にしか表現できない」などと言われるようなものでさえ、解析してコンピュータで再現可能なものだと思っています.
その解析と再現を的確に出来るのがある意味優秀な奏者です.
で、元に戻ると、演奏技術はそのような具体的な表現方法を思ったように出来るために身につけるものである.
その演奏技術を身につけるためには具体的にどんな練習方法が必要なのかを考えるとメソードが決まってくるのではないでしょうか.
_ コメントにもあるように元増田さんの先生は「単純にさ、教師になる過程で、そういう教育は受けてこなかったんじゃない?」といった教師なのだと思います.
そういう教育を受けてこない、またそういう指導方法の教授を受けてこないまま教師になる事は、普通のことなのではないか、と思います.
大学での教職課程でおそわる教育指導法って全然システマティックではありません.
これこれはこのように教えろ、などのメソードが確立しているものもありますが、そうでないものが多い.
私は大学で英語科教科教育法の講義を受け (サボらずにまじめに勉強しました)、英語の教員免許を持っていますが、中学1年の最初の英語の授業で「Hello, John!」から教えるのか、「This is a pen.」から教えるのか、「ABC」から教えるのか、どれが一番良い手段なのか、それぞれがどのような意味で役に立つのか、などを示される事はありませんでした.
そのような事は教える教員の経験と判断による事とされています.
一子相伝の北斗神拳の方が的確なメソードで技術伝達してるんとちゃう?