奈良の FIELD NOTE に行ってきました.
もともとくるみの木フィールデイズ店に隣接していたお店ですが、地主さんといろいろあったのでしょうか? フィールデイズがなくなっちゃいました.
その後新しく近所に土地を見つけられたようで、この新店舗を開かれたようです.
はかせは新店舗を出したと言う情報を最近になってようやく知り、場所を探していたところに...
お店を見つけましたよ.
駐車場も広くて簡単に停められました.
新しいお店はまだ新築、庭もまだまだ作業中のようです.
店内には明るい喫茶室があります.
庭に面して座る長いテーブルがひとつあるだけのシンプルなもの.
ここでフォンダンショコラと栗のマフィンを食べました.
どっちもおいしかった(^Q^).
特に温かいケーキの中からチョコがとろりと溶けてくるフォンダンショコラはおいしかった.
生クリームの上に添えられているミントの葉っぱは、お店の人が注文を聞いてから庭でつんできたものです.
なんかいい気分.
こんな案件が進行してるなんて知らなかった...(^Q^;)
http://2chnavi.net/からhttp://turenet.blog91.fc2.com/blog-entry-2352.html経由で日経ネットの記事http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080107AT3S2803907012008.htmlへ.
_ 日経ネットによると、国会図書館の蔵書をデジタル化しどこでも閲覧出来るように政府が法改正に着手するようです.
記事の見出しは「国会図書館の本、全国で閲覧可能に・3000万冊をデジタル化」となっていますが、3000万冊がデジタル化されるかはちょっと不明.
NDLの蔵書が3000万冊あるのかもちょっとはかせには分からないのです.
将来はこれらをインターネットを通じてどこでも読めるようにする方針だとか.
_ NDLが進めているというよりは政府が進めているのでしょうか.
NDL発行のカレントアウェアネスは毎号目次をチェックしていたのですがそんな情報はなかったような...
はかせが気付かなかっただけかな.
_ 有料なのかな? 無料なのかな?
著作権が生きているものはどうなるのかな?
現在も流通しているものはどうなるのかな?
法改正を伴うのなら著作権法を乗り越えられるようにはするでしょうが、流通しているものについては無償での閲覧は無理でしょうね.
むしろちゃんとカネをとってほしい、と思っています.
あちこちで悪徳商法と言われているのを見ていましたが、倒産ですか.
悪徳と呼ばれる程に、倒産には縁の無い程稼いでいたかと思っていたのですが...はてはて?
以前に新風舎だったか文芸社だったかで自費出版した本を送付し、
私が書いた本です、ぜひ図書館においてください」
と言う卒業生がおられました.
本の中身は他愛のない小説でしたが、著者さんは中身に相当自信のある様子でした.
出版社にあおられて大変価値のある傑作だと思っておられたのでしょうか.
最終的に寄贈はお断りしたのですが、
「本は著者にとっては子供です、ぞんざいに扱わないで下さい」
との意味のことを言われていたそうな.
応対した者はかなり苦労していたそうです.
この例以外にも、新風舎や文芸社刊行の小説本やエッセイ本は、著者からの寄贈としてと図書館にたまに送られてきます.
この2社からの刊行物は自費出版の自己満足本だ、とフィルターを通すのがいいのかな?
変わり者の寄贈本ではその他にも、純然たる自費出版のものも送られてきます.
これと言ったテーマのないエッセイ、父親の伝記、古代史の独自解釈、宗教者の社会論なんかが目につきます.
出版社から刊行されているものでも、UFOのひみつ、ガンはこうすれば治る、私はこうして我が子を東大に入れた、などなど大学の図書館に置くのはちょっと...と言ったものもあります.
国会図書館はこんなのんも全部整理して配架してあるんですよね.
うちの大学の DNS がどうにかなってしまいました.
library.ne.jp につなごうとすると 210.156.80.139 に飛ばされ変な広告を見せられます.
ブラウザのURL欄に表示されている URL は
http://www.sedoparking.com/search/registrar.php?registrar=Humeia&domain=ilis01.dl.library.ne.jp
となっています.
読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/ や
毎日新聞 http://mainichi.jp/ も同じようになってしまい見れません.
こーゆーのはほんとに迷惑だからやめてほしいよ.
寒い寒い.
新薬師寺に行って十二神将像を見るつもりで家を出たのですが、すんごく寒かったので行き慣れた所に行き先変更、大仏さんを拝んできました.
ついでに奈良市内でいくつか買い物も.
奈良の大仏 (盧舎那大仏) はよく知られているように聖武天皇が願主となって造られました.
この大仏造顕事業は藤原仲麻呂と橘諸兄の勢力争いの中で藤原氏が勢力を伸ばすために利用されたものと言う面があるそうです.
歴史の本を読むと、聖武天皇がけっこう厄介な人だった事が分かります.
_ 大仏建立までのこの時代の歴史をまとめてみます.
大仏造顕直前の時代は、藤原不比等の死→長屋王を首班とする体制→藤原氏の讒言による長屋王の惨殺→藤原四兄弟体制→天然痘流行に拠る藤原四兄弟を含めた有力者多数の死去、と政局が揺れ動いていました.
聖武天皇は有力な貴族=政治家を天然痘流行により多数失った後、積極的に政治に関わろうとなりました.
ここに橘諸兄大納言を首班とする体制が成立します.
諸兄の政治は、聖武天皇の意向を具現化するためのもので、強力なものでもなく主体性も少ないものでした.
四兄弟を失った藤原氏はこの体制の下ではそれまでの時代に較べて体制への影響力がダメダメになっています.
そんな時代に聖武天皇が大仏造顕を決め、これを勢力争いのコマとして藤原氏と橘諸兄が厄介な事になっていきます.
そんな時代のおはなし.
登場人物.
聖武天皇 | 時の天皇陛下.あっちにふらふら、こっちにふらふらな困ったちゃん. |
橘諸兄 | 政府でのいちばんえらい人.天皇の言うことはちゃんと聞く.藤原氏の影響力を薄めたいと思っている. |
光明皇后 | 聖武天皇の皇后(藤原氏出身)、ダメダメになった藤原氏を盛り返そうと画策 |
玄昉、良弁 | 僧、国政におかまいなく諸国国分寺造営や大仏造営を聖武天皇に勧める.空気の読めない人物 |
吉備真備 | 学者、国政におかまいなく諸国国分寺造営や大仏造営を聖武天皇に勧める.空気の読めない人物 |
藤原広嗣 | 空気を読めない玄昉、吉備真備にガマンならない. |
藤原仲麻呂 | 落ちぶれた藤原家をなんとかして出世したい野望家. |
_ 天皇にあまり力を及ぼせない橘諸兄体制の下、本来政治とは関係ない後宮に近い僧玄昉と学者吉備真備が聖武天皇に影響力を及ぼし、政治にまで影響が及んでくるようになりました.
長屋王の変、天平の凶作、天然痘流行など体制が揺らぎ庶民が苦しむ中、玄昉と真備が聖武天皇に勧め、聖武天皇は全国に国分寺を建立することを決めます.(737年)
_ 740年
諸兄はイヤだなーとは思っても聖武天皇の命じるままに国分寺建立の準備を進めます.
これってカネかかるし、天災の後遺症に苦しむ庶民に新たな負担を与えるものなのよ.
国分寺創建の思想は「国奏らかに人楽しみ、災除き福に至る」との事なのですが、それを最も願う庶民が酷使される事になるのです.
「玄昉とか真備とか政治と関係ないやん、首突っ込むなよ、今は国分寺どころと違うでー」と、この状況に疑問を感じた藤原広嗣が挙兵します.
広嗣の乱は政府軍に鎮圧されますが、広嗣の意志は受け入れられ、玄昉や真備の力は削がれる事になります.(740年)
_ 741年
この前後聖武天皇は平城京から恭仁京にふらふらーっと遷都を行います.
恭仁京遷都には、
天皇がこの状況に嫌気をさした、
天皇が藤原氏の影響の強い平城京から離れたい、
橘氏の力の強い恭仁京への遷都を諸兄が薦めた、
橘諸兄が聖武天皇と藤原氏の関係を切り離したかったなどの理由があるようです.
この遷都で橘諸兄はガッツポーズ.
_ 741年
一方藤原氏側はと言えば、藤原氏の勢力が薄れるのを恐れた光明皇后 (藤原氏出身) が国分寺に安置する仏像建立のために藤原氏の私財を封戸を寄付する.
これによって聖武天皇の藤原一族に対する好感度アップ.
_ 742年
「玄昉や真備の影響が亡くなった心のスキマを埋めてさしあげます」
と僧良弁が天皇に近づきます.
この良弁が大仏や国分寺をさらに聖武天皇に勧めていきます.
(寺や仏が増えると僧職はウマー!だぜ)
良弁に従い聖武天皇は紫香楽離宮 (当初大仏は信楽に建築予定) を造営されます.
_ 743年
で、聖武天皇はふらふらーっと紫香楽離宮へ行幸.
紫香楽離宮へ行幸すると言う事は聖武天皇が大仏造顕へと近づく事なのですが、すでにお国の体制は恭仁京の造営、国分寺の造営でいっぱいいっぱい.
「この上に大仏の造営まで行うの?」
諸兄は自分に都合のいい恭仁京造営が破綻するのでは、と懸念し大仏造顕には反対します.
そんな中、聖武天皇に近づくため藤原仲麻呂、光明皇后は大仏造顕を推し進めます.
聖武天皇は心を動かされ大仏造顕の詔が出されるのです.
藤原家は聖武天皇の心を動かしたのですが、この大事業の責任は政府首班の諸兄が持たねばならない、諸兄はクッソー、仲麻呂はヤターとなるのです.
_ 743年.
勢いに乗る仲麻呂が聖武天皇に
「紫香楽に大仏造りまっせ.そのために紫香楽宮を拡張せなあきません.そっちにカネかかるし恭仁京工事はやめましょ」
と薦め恭仁京造営工事は中止されます.
自分の勢力圏に都が来る筈だった諸兄ガックリ.
大仏が最優先となってるのを仲麻呂がうまく利用したのですよ.
_ 744年
ここで諸兄の反撃.
「恭仁京の工事中止するのなら都は恭仁京? 難波宮? どっちにすんのよ?」
藤原氏の息のかかった平城京、紫香楽宮は無いことにして話を進めていきます.
そんなこんなで聖武天皇、ふらふらーっと難波宮に移っちゃいます.
諸兄ニンマリ.
こないなったら最後の手段や」
藤原氏により天皇の後継者と目される安積親王が謎の死.
安積親王は天皇の跡継ぎ候補のうち藤原家の息がかかっていない者の最有力者です.
諸兄ショボーン.
_ 体制はワケワカメに、聖武天皇はますますふらふらと.
仲麻呂は大仏造営を、諸兄は難波宮遷都を、それぞれ進めていきます.
難波宮皇都宣言が出される中、同時に聖武は紫香楽へ移る.
もうどっちが優先なのかワケワカメ.
紫香楽での大仏造営が進む.
対抗して諸兄は紫香楽周辺に放火.
また聖武はふらふらーっと恭仁京へ移動.
さらにふらふらーっと平城京に帰ってきます.
仲麻呂の完全勝利なのよ.
_ 745年
藤原氏の勢力範囲である平城京の中でも特に藤原氏の支配地平城京東部に大仏が造られる事が決まります.
これが今にまで伝わる奈良の大仏となります.
創建に際してのドタバタはとても誉められたものとは言えないと思います.
繰り返された遷都、国分寺創建、新京の放棄、信楽大仏の放棄、など勢力争いは無駄を呼びすぎ.
勢力争いを招いた聖武天皇のええかげんな行動.
この時代の政治家たちは庶民階級をどう考えていたものなんでしょうね?
この後、奈良での大仏造営が始まってからも、巨大プロジェクトへの投資による財政事情の悪化、それに伴う農民層の負担増大など、後先考えない聖武天皇の悪影響は続いてゆきます.
アマルガムを使っての金メッキによる平城京の水銀汚染.
材木の伐採による山林破壊.
_ そんなこんなで地上に出来上がった奈良の大仏.
平重衡の南都焼き討ち、鎌倉時代の復興、永禄の変、江戸時代の復興を経て今にまで東大寺は残っています.
創建時にはいろいろあったものですが、昔のものを何代もの人たちが大事に大事に伝えてきた事を思うと涙がちょちょ切れてきます.
吹奏楽団の練習日です.
冬休みにサボりすぎたため、休み明けにあたる先週の練習は全然思うように音が出なかったのよ.
これはイカンと思い、ワイセンボーン (バスーンの練習曲集) の初めの方からおさらい.
今週はなんとか調子を取り戻して吹けました.
とは言ってもまだまだクチビル周辺の筋肉は弱ったままです.
長い時間休みなしに吹くとバテバテになって音が出なくなるのよ.
次の本番 (3月) までになんとかなるかな?
なんども書いていますがバスーンのリードのお話.
バスーンってこんな楽器です.
この楽器の吹口にあるこの部分が「リード」です.
もうちょっと拡大.
リードを自分で作る方もおられるようですが、はかせは完成品を購入しています.
JDRの「JDR X(さくら)」がお気に入りだったのですが...
先日「さくら」を買ったところ、仕様に変更があったのか、はかせの知っている「さくら」とは別物になっていたのですよ.
これはショック.
じつは年明けに思うように楽器を吹けなかったのはこれも原因なの.
新しい「さくら」ははかせの知っているさくらちゃんとは別人になってしまっていました.
「CCさくら」は、「クロウ・カード編」で終わったのです。それ以降、「なかよし」誌上には、それに良く似た別の作品が連載されていたのです。間違い有りません。
http://aomori.cool.ne.jp/ramet/moe/skr05.html
と書かれた人とは全く違いますが、大好きなさくらに裏切られた点は同じ鴨...
_ このさくら色のリードの小話.
昔昔はかせはお気に召すリードがなくって困っていたところに、楽器屋さんのアドバイス.
「「さくら」がいい鴨知れませんよ」
で、早速「さくら」を試したところ「これは(・∀・)イイ!!」
浮かれて喜んでいたら、妻ちゃまに
「良かったね.はかせの好きなさくらちゃんと同じ名前やね」
思いっきり慈母の微笑みを受けてしまったです.
スキーに行ってきました.
行き先は栂池高原スキー場.
かつては「イッパツガイケ」なんて呼ばれていたそうですがスキー場でナンパしてどうのこうのなどと言う事ははかせは聞いた事ないですよ.
それはさておき.
大雪でした.
積雪270センチだそうです.
この写真は林道コース.
後ろの木の埋もれ具合から積雪量を推察下さい.
これだけ積もっている上にさらにどんどんと降雪.
そんなわけで、行けども行けどもふかふか雪なのです.
あまりのふかふか具合でスキーが全然滑ってくれないの.
お茶を飲んでるちょっとの間にもスキーの道具に雪が積もってるの.
雪の結晶が5ミリぐらいにまで成長していて、肉眼でもはっきりと見えましたよ.
あまりの積雪に翌日はこの林道コースは閉鎖されていました.
今年も入試がやってきました.
入試となるといつもの企画でございます.
そう、メガネっ娘調査.
はかせはとある私立女子大学で働いています.
その入学試験を受験する娘さん達のうち眼鏡着用者の数を調べました.
1/29 59人のクラス中めがねっ娘は7名 (11.9%).
1/30 67人のクラス中めがねっ子は7名 (10.4%).
すべて文系学科の受験者です.
ついでに附帯調査.
制服着用者の数も調べてきましたよ.
1/29 59人のクラス中制服っ娘は20名 (33.9%).
1/30 67人のクラス中制服っ娘は19名 (28.4%).
すべて文系学科の受験者です.
メガネっ子少ないです.
前回の調査より減っています.
おそらく、コンタクトレンズはおしゃれ、コンタクトレンズは動きやすい、などの意識がある事だと考えられます.
しかしながら、コンタクトレンズで入試にのぞむのはお勧めできません.
コンタクトには不慮の事故が付きものです.
入試会場に着くまでに外れてなくしてしまう事が考えられます.
予備レンズを持参している事はあまり無いでしょう.
この場合、裸眼で試験に臨むことになり不利です.
試験中に外れてしまう事もあります.
その場で消毒液を使いレンズを洗浄し再装着したい所ですが、試験中に消毒液をカバンから出すことは許されません.
机の上に出すことが出来るのは筆記用具、時計、メガネなどに制限されています.やはり、裸眼で試験を受けざるを得ません.
試験中目にゴミが入りコンタクトを外す必要が起きるかもしれません.
やはり再装着は出来ません.
裸眼での受験となります.
メガネを使う事で上記のリスクから逃れる事が出来ます.
入試にはコンタクトをやめ眼鏡を使う事をお勧めします.
その際は、常時装着する眼鏡と予備用を持参することが良いでしょう.
なんらかの事態で眼鏡が壊れた場合も予備用があれば安心です.
普段コンタクトを使用しているため、眼鏡に違和感を覚える方はこれを機にコンタクトをやめ眼鏡に思い切って変えてみる事が良いでしょう.
もちろん入試直前に眼鏡に変えるのではなく、入試を目標に予め徐々に長期間かけて眼鏡に慣らしていくことで違和感は拭える事になります.
_ これまでの「大学入学試験受験者数にしめるメガネっ娘の比率調査」
2008年1月
http://kerop.info/tattler/20080130.html#p01
2007年3月
http://kerop.info/tattler/20070302.html#p01
2007年1月
http://kerop.info/tattler/20070127.html#p01
http://kerop.info/tattler/20070129.html#p01
2006年3月
http://kerop.info/tattler/diary200603.html#20060303a
2006年1月
http://kerop.info/tattler/diary200601.html#20060127b
2005年1月
http://kerop.info/tattler/diary200501.html#20050115a
http://kerop.info/tattler/diary200501.html#20050130a
_ へ●たいはかせ [追記 国会図書館の件、slashdotにタレこみ、掲載して頂きました. http://slashdot.jp/art..]