ぐるぐるしていたことろ、REVさんのはてなブックマークに「POLAR BEAR BLOG: 『米国は訴訟社会』というフィクション」がブックマークされていました.
はかせは「米国は訴訟社会」なるテーゼは当然の事だと思っていたのですが、それがフィクションとはどういうことなの? と興味を持ちリンク先を読んでみたのよ.
_ 該当記事は『手ごわい頭脳 : アメリカン弁護士の思考法 / コリン P.A. ジョーンズ著. -- 新潮社, 2008.10. -- (新潮新書 ; 286)』を読んでの読者の感想でした.マクドナルド・コーヒー事件の真相に触れ、この裁判が日本で広く語られているほど無茶な訴訟/判決ではなかった、との話をとりあげ、次のように書かれています.
米国というと、「弁護士が多い」「バカな訴えが通ってしまう」などといった訴訟社会のイメージがありますが、著者のコリン・P・A・ジョーンズ弁護士は必ずしもそれが正しくないことを解説しています。
「米国は訴訟社会」というテーゼをどのように否定する記事なのかと期待していたが、「米国は『弁護士が多く』『バカな訴えが通ってしまう』訴訟社会」と言う部分だけを否定するものだったのでしょんぼり.
手ごわい頭脳―アメリカン弁護士の思考法 (新潮新書)
新潮社
¥ 714
上記の記事を読む限り、この本は米国が訴訟社会であることを全然否定していないようです.訴訟社会の中味は『バカな訴えが通ってしまう』事はないんだよ、と言っているにすぎないようです.
はかせはやっぱり米国は訴訟社会なのかなと考え、図書館の中からそんなテーマについて触れた本を探し、中公新書の棚から『訴訟社会アメリカ : 企業戦略構築のために / 長谷川俊明著. -- 中央公論社, 1988.9. -- (中公新書 ; 891).』を見つけました.
POLAR BEAR BLOGさんの記事にからめて、この本に書かれていたことに触れます.
この本は期待にたがわず序章の第1項から「訴訟社会の実態」とタイトルが付けられており、著者が米国で暮らし、米国の法律事務所で働いた体験から、「アメリカ人は...[中略]...相手かまわず裁判に訴えたり、強引に事故の主張を通そうとする」と書かれています.
そんなわけで、いきなり結論.
アメリカ人が訴訟好きで、米国が訴訟社会なのはフィクションではありません.
米国は訴訟社会です.
_ その他にもこの本を読んで知った知識をつらつらと.
この本に拠ると、アメリカが訴訟社会となったのは、この国の法制度が「コモン・ロー」であるからだそうです.
コモン・ローの特色は、慣習法=判例法という点にある。
コモン・ローは慣習法をもとにしており、法典はつくらないのを原則とする。法規版は一次的には判例から生まれるとする、判例法(case law)主義がここではとられる。
コモン・ローはすぐれて司法的で訴訟中心の法体系ということができる。
コモン・ローの世界では、「はじめに訴訟ありき」といってよいくらいに訴訟が中心的役割を果たす。
これ以上の事をここで私が書く必要のないほど簡潔に記述されています.
米国の法体制が日本、また日本が法体系をお手本にしたドイツ、ドイツなど大陸法と呼ばれる法体制の支配するヨーロッパ諸国(英国は除く)とは全く違った考え方、コモン・ローと呼ばれるようなもので出来ており、その体制はもともと訴訟中心の法体系なのです.
_ もう一点.
米国の訴訟制度では、日本と違って「懲罰賠償」という制度があります.
例のマクドナルド・コーヒー訴訟でマクドナルド社に課せられた巨額の賠償金は「懲罰賠償」と呼ばれるものです.
加害者の不法行為に悪意性がみられるとか、悪質であるときには、実際に被害者のこうむった損害額に加えて懲罰賠償を認めてよいとする。
分かりにくい制度ですが、これは損害の補償だけでなく、制裁・懲罰のための罰金の意味をも含む賠償金です.
POLAR BEAR BLOGさんの記事ではあまり触れられていませんでしたが、これらのように根本の法制度が違うために訴訟社会となったり、巨額の賠償が課せられる判決が出てくるのが米国のようです.
懲罰賠償が認められ、またPL法が浸透しているこの国では、巨額の賠償が発生する裁判が多いのです.
アメリカでは1980年代に入ってから、とくに製造物責任訴訟分野を中心に、こうした巨額の賠償金を認定する裁判例が急増している。賠償額が100万どるを超えるような陪審評決のことを「ミリオン・アワード」と呼ぶが、人身事故におけるミリオン・アワードの数は、1975年には全米で27件にすぎなかったものが、85年には488件に跳ね上がっている。
この巨額の賠償により弁護士の受け取る報酬額も多大なものとなります.
これが行き過ぎたために乱訴や賭博的な訴訟の増加となっているのが米国の訴訟社会のようです.
_ PL法とPL訴訟については著者も問題としているようです.
問題は、その後のアメリカにおけるPL訴訟をめぐる進展が、アメリカ人自身が認めているように、やや度を越していることにある。
行き過ぎたPL訴訟は製造企業の避けられないようなありふれた危険に対しても罰を与えることになり、それが製造意欲を削ぎ、産業界全体の不幸、強いては国家全体が不幸になります.
私がこの日記で何度となく書いているように、消費者保護のための企業叩きは結局は消費者を叩く事になってしまい、結果国全体の幸福にはつながらないのです.
製造企業はPL訴訟への賠償金支払いのために保険に頼る事になるのですが、保険会社も保険金の支払金を準備する事が出来なくなり、保険金の値上げ、あるいは保険契約の拒否とつながっていきます.
_ この状況は今日日本で問題になっている産院の減少とも似てるのでは、と思っていたところ、やはり同書内にも病院、特に産院についての記述がありました.
だれでもこわい。メーカーは製造をストップし、医者は医院をたたんでしまう。右に紹介した『タイム』誌の特集には次のような話が載っている。ハワイ諸島のモロカイ島に住む妊婦が出産時に医師の看護を希望するときには、近くのオアフ島やマウイ島まで飛行機で渡る必要があるという。モロカイ島に過疎による医師不足、無医村状態が発生したからではない。同島にいた五人の医師は、医療過誤責任保険の保険料がいずれも彼らの医師として得る収入総額を上回ってしまったため、仕事をやめてしまったというのである。
こうした話は、いまや全米各地いたるところにある。アメリカからすべてのメーカーというメーカーが姿を消すかもしれないという極端の予言をする者までいるが、ひょっとしたら本当にそうなるかもしれないと思わせるところに、事態の深刻さがある。
孫引きになってしまうのでTime誌をさらってみました.
On hawaiian island of Molokai, pregnant women who want a doctor in attendance when they give birth fly to neighboring Oahu or Maui. The five Molokai doctors who once delivered babies have stopped doing so because malpractice insurance would cost them more than the total of any obstetrical fees the could hope to collect.
(Sorry, your policy is canceled : those dread words echo with numbering frequency in an America well on the way to insuring itself to a silly, shuddering halt」, Time : the weekly newsmagazine, Time International, 127 (12) March, 24, p18, 1986)
書き疲れたのでここまで
訴訟社会アメリカ―企業戦略構築のために (中公新書)
中央公論社
¥ 693
ディズニー、マクドナルド、コカコーラ、PL法。。みんな、世界で一番優秀な日本国民を○痴にするためのアメリカの陰謀です。(この陰謀はほとんど成功しているといっても過言ではないでせう。)
K'uriさま<br>PL法により、何を作るにも大きなリスクが発生し、メーカーの意欲が削がれるのは国全体の経済発展の立場から見るとエラい損失だと思っています.<br>このPL法、米国発祥なんですよね.