図書館にはたくさんの本があります.
はかせの働いている図書館のちょっと古い統計リストを調べてみると、210,634冊もの蔵書があることがわかりました.
そのほとんどは見ても読む気の起こらないようなものですけどね(^Q^;)...
_ そんな中でも自分が好きなジャンルの書架に行くと読みたい本がズラリと並んでいます.
はかせが好きなのは岩波新書や中公新書が配架されてある書架.
調べ物をするのではなく、漠然と本を借りようと思う時にはよく岩波新書・中公新書の書架に行きます.
そのたびに、どの本を読もうかと迷ってしまうの.
あれもいいな、これもいいな、と思うのですが一度に沢山借りてもしかたない.
こんなに沢山の読みたい本たちがあるのに、はかせは一生かかっても読めないんだな、と思うとなんか寂しくなってしまいます.
そんな岩波新書からえいやー、と選んできたのはこの本.
多神教と一神教 : 古代地中海世界の終了ドラマ / 本村凌二著. -- 岩波書店, 2005.9. -- (岩波新書 ; 新赤版 967).
読んでてかなり不快でした.
「宗教は多神教から一神教へ進化する」という概念がはっきりとは謳われていないの、あちこちに読み取れたからです.
ヨーロッパでは、物事が直線状に進む、と言う考えが一般的です.
宗教は多神教→一神教、
経済は原始共産制→封建制→資本主義、
歴史は古代→中世→近代、
などなど.
(この辺いい加減ですが許してくださいな...)
西洋 (ヨーロッパ) 文化圏では過去から今までそのように進んできた経緯があるかも知れませんが、それが汎的に適用することの出来る真理だとされる事はどうも気にくわないのよ.
また西洋文化圏に属する人は、上記のように進んできた形態の頂点に自分達がいる、と考えています.
その結果がキリスト教の輸出や民主主義の押しつけなどです.
西洋の人々が独自の歴史観・価値観を持つのはなんとも思いませんが、それを押しつけるのはやめてほしい.
もっとかなわんのは、そんな西洋の価値観を信奉する非西洋圏の人たち.
日本の歴史をヨーロッパのように古代→中世→近代という形に無理にあてはめて分類する必要なんてないのに.
一神教こそ宗教の最終形態、なんて考える必要なんてないのに.