_ ようやくうちに帰ってきました.
疲れた(>_<).
こんな事誰も読みたくないでしょうが、自分の備忘録として、母の死を記します.
夕方仕事を終え、クルマを出そうとしたところに父から電話.
曰く「母が風呂場で倒れた.来い.」との事.
そのまま大阪の病院へ急ぐ.
父は電気・ガス等気にするヒマもなくそのまま救急車で病院に行ったとの事で、父の家に寄り、電気・ガスをチェックして病院へ.
その間、兄より電話あり.
曰く「もうダメだ」との事.
病院に着くとICUに案内され、ICUの担当医に病状を説明される.
曰く
「脳幹出血でもう手のつけようがない」
「既に意識はない」
「人工呼吸を行っているがもう時間の問題だ」
「長男さんが来るまでは持たせるがその後は家族で相談してください」
「ほとんど脳死と言って良い状態です」
との事.
(はかせは次男です、長兄は東京在住)
父曰く
「孫が5歳ぐらいになったらみんなでディズニーランドに行こうって言ってたのに」
悲しくて悲しくて仕方ありませんでした.
「容態は安定しているので帰ってください」と言われ、父の家に帰宅し、入浴.
母が倒れた浴室は嘔吐の跡や、ニトロを内服した跡など (母は狭心症もち) がありイヤなものでした.
父とともに布団に入りました.
寝たのか寝てないのか分からないうちに、午前4時半ごろ「容態が変わったので来てください.」と病院から連絡があり、急いで病院へ.
病院に着くと、母は心臓マッサージ施されていました.
担当医曰く
「4時半頃に心臓が停まり、心臓マッサージで蘇生させた.」
「以降ほぼ1時間毎に心臓が停まっている.」
「長男さんが来るまでは心臓マッサージを行うが、その後はお別れとなります」との事.
9時半に兄が到着.兄と一緒にICUに入ると担当医さんがちょうど心臓マッサージを行っていました.
蘇生後、家族で声をかけたり、手をつないだりしましたが、それ以上の事が起こるわけもなく、はかせ・兄・父が見守るなか10時30分に母の心臓は再度停まりました.
それ以降の心臓マッサージはやめてもらい、母は死にました.
_ 斎藤茂吉の「死にたまふ母」に
死に近き母が額を撫りつつ涙ながれて居たりけるかな
というのがありますが、ほんとにこの通りでした.
お通夜、ご葬儀ともに参列できなく申し訳ございませんでした。はかせにとってはとてもとても悲しい出来事ですが、ご母堂のご逝去の前にはかせのご子息を会わせる事ができたのが何よりの親孝行ではなかったでしょうか。こんなことを超親不孝者の放蕩息子が言うのもなんですが、はかせは立派な親孝行息子だと思います。
クリに紹介されてはじめてブログを見ればこんなことに・・<br>通夜、お葬式に参列できず申し訳ございませんでした。<br><br>斎藤茂吉は心に残る歌が多いです<br><br>死に近き 母に添い寝の 深々と 遠田の蛙 天にきこゆる
K'uriさま、pegyさま<br>ありがとうございます.<br>いろいろ考えると悲しく苦しいです.<br>斎藤茂吉の「死にたまう母」は文学作品としてしか感じていなかった歌ですが、自分がその立場に置かれるといろいろと考えさせられます.