最近の日本の大学が学生に課しているものって、いろいろと変わってきているんです.
それにちょっと「うーん」と思ってしまいました.
はてな匿名ダイアリーに「弟が大学を辞める」というのんが上がっています.
この弟さんが大学を辞めるきっかけは次のような感じ.
大学内で友人が出来ず、男女とも(リア充というやつか?)からプークスクスされてつらかった
弟の通っている大学は、とにかく1人で勉強すれば単位が取れて卒業出来る、という訳ではなく
チームで勉強発表(ゼミ?)に特色があるそうで、
ぼっちでも頑張れば卒業できる、という訳にはいかない
私は大学行った事がないので知らなかったけど、
1人で勉強頑張っても卒業出来ないカリキュラムなんて辛すぎるよ!
コミュニケーション能力がないと卒業出来ませんって、入学案内に太字で書いとけ!!!!!
って思いました。
本来、大学は学問を究める機関なのです.
学問を究めるのんが目的なら「ぼっち」でも OK の筈です.
コミュニケーション能力なんて無くても卒業出来る筈でしょう.
でもね、今の日本の大学ってそうじゃないんです.
日本の教育を束ねる文部科学省が大学の教育の目的を「職業人としての基礎能力の育成」と捉えるようになってきているのです.
その職業人としての基礎能力のひとつに「コミュニケーション能力」があげられています.
「学士はコミュニケーション能力を持ってないとダメですよ」
「大学はコミュニケーション能力を持ってない者を卒業させたらダメですよ」
と文部科学省の中央教育審議会が答申を出しており、日本中の大学がそのようにしてるのよ.
そうなるとね-、ぼっちは職業人としてふさわしくないもんねー.
この弟さんは日本の大学でやっていけなくなっても仕方ないのんですなー.
いつ頃からなのか、大学って「就職予備校」的な存在になっています.
実勢だけが「就職予備校」で、建前は「学問を究めるところ」なのではなく、上記のように、文部科学省もそれを追認しています.
それって良い事なのかどうか、はかせは疑問に感じています.
もちろん全てのものは移り変わりゆくものです.
諸行無常です.
今の価値観ににばかりすがっているのんは執着を生んでしまうので良くないのんです.
おまけなのですが.
コミュニケーション能力を重要視する一方で、「コミュケーション能力」を養うための教育って為されてないんですよ.
学士は「コミュケーション能力」持ってないとダメですよ、と言う一方でそれを養うための教育を怠るのんも問題ですなー.
ついでに言うと、この方 (お兄さんや家族の方) は大学を「就職予備校」として活用しようとしています.
そうならば働くために必要な「コミュケーション能力」がない者がドロップアウトすることには文句は言えないんですよね.
いろいろややこしいのんです.