図書館学の講座を3日間受講してきました.
疲れた〜ヽ(´o`;)ノ.
公共図書館のこどもに対するサービスについて、のお話だったのですが、講師さんが「自説マンセー」の方のようでして、そんな方のお話を聴くのはとっても疲れましたよ.
図書館のあり方なんて館が100あれば100通りあってもいいものです.
こどもに対するサービス論なんて、もっと言えば教育論なんて何百年たっても結論の出ないものなのよ.
なのにこのセンセ、自説のみが最高で、それ以外のやり方はダメとおっしゃるの.
その裏付けは、自分が今までやってきて上手くいってるから、だって.
_ 教育論的な図書ってけっこう多く出版されています.
学術的な体裁をとっており優れた内容のものがほとんどなのですが、中には通俗的なものもあり、しかも通俗的なものは装丁とかが目立つように作られており、このタイプのものは教育論のメジャーなものとして世の中を席巻しています.
そんな通俗的な教育論本を読むと、「私はこうやって息子を育ててうまくいった.だからこれが最高の教育法だ」というのが目立ちます.
あなたとあなたの息子の性質や環境だとそれでうまくいったのかも知れませんが、それは偶然であって、ユニバーサルに通用するものじゃないというのが分かっていないのです.
学問であるからには、単一の経験を全てのものとして捉えずに、いろいろな可能性を追求していくべきではなかろうか.
_ 今回の図書館学の先生はそんな事が分かってないのかな.
自分の方向のみに一直線で、「すべての図書館はこの方向に向かうべきだ」とでも言わんばかりでし.
「児童書は図書館の何処に配架すれば良いか.そんなのは決まっています.こうすればいいのです.」
とまぁこんな調子.
そんな調子のお話を長い間聴いていると、いい加減に腹が立ってきます.
_ そんな風に思っていたら面白い文章に行き当たりました.
孫引きになりますがhttp://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20070830から.
日本の国語の教科書は名作をリライトしたり、あるいはダイジェストにしたりして載せますが、私が通っていたソヴィエト学校では、国語の授業と宿題で実作品を大量に読ませるのです。かなり19世紀の古典偏重でしたけれども。それから学校の図書館に本を返すときに、司書の先生が生徒に読んだ本の要約を、毎回毎回言わせるのです。感想は聞かれません。つまり、その本を読んだことがない人に、どんな内容かわかるように伝えるということを、毎回やらされるのです。国語の時間もそうです。
こんな図書館のあり方、こんな国語の授業のやり方もあるんですね.
自分の知っている範囲の事しか話さない前述のセンセがこの話を聞いたらどんな反応をするのでしょうか?
「人は自分の聞きたい意見しか聞かない.」
という性質が多くの人にあるそうですが、このセンセも「ソ連はそんな事をしてたからダメになった」などと言いそうな気がします.
_ 3日間のお付き合いだけの先生だったので良かったのですが、この方とずっと付き合っていくのはしんどいでしょう.